ふたたびの旅。 おとなの週末バックパック

書籍イメージ
グレゴリ青山 著 メディアファクトリー 出版社
2002年7月5日 初版
ISBN4–8401–0581–2

旅好きの著者がバックパックを背負いアジアを旅する旅行こぼれ話。
タイ、ミャンマー、マレーシア、ベトナム、インドネシア・バリ島などをまわっていく。
また、クルーズ船での旅の様子も語られていく。

初めての場所ではなく、何回か行ったことのある場所を中心に再開の旅を綴る。

マレーシアでは7年前にお世話になった家族に会いに行った。
子供が、大きくなり結婚した友達もいた。

ベトナムでは陶芸をやった。
ろくろがうまく扱えない著者が作ったので形が真円でない陶器がいくつも作られて焼いてもらった。
帰国後、それらが送られてくるのだが、つるつるの表面は綺麗だが、形が相当いびつなものが読者のプレゼントになっていた。
ベトナムの女性は働き者で強い、そもそも男は戦争で兵役に取られていたため働く事を忘れてしまったとの事だ。

インドネシア・バリ島では芸術家の※ウォルター・シュピースの作品を求めていく。

※ウォルター・シュピース
1895〜1942 ドイツの画家。現代バリ島の父として知られ、1930年代バリ島におけるバリ・ルネッサンス中心人物として活躍した。(ウィキペディア)

シュピースのアトリエのあったホテルや、彼がデザインしたプールなどを見学し遺跡なども巡る。

初クルーズの旅では。
スーパー・スタートーラス2万5千トンの豪華客船で神戸・福岡・韓国・中国で7泊8日の旅が格安だったため行くことにした著者。
乗客は主に日本人の中高年だった。

朝食はビュッフェスタイルで食べ放題、和洋のメニューが並んでいた。

韓国では以前知り合った、女学生たち達と会ったが、大人になった彼女達は恋に仕事に忙しく早々に別れた。

クルーズの旅最後の夜はパーティが開かれ、女性はドレスなどのいしょうで着飾るのだが、著者は以前インドのパンジャビードレスを纏いダンサー達と写真を撮った。

と言う具合の旅の記録が徒然に語られていく旅行記だ。
アジアの旅行に興味のある人は是非ご一読を。
普通に読み物としても面白いです。


スポンサードリンク




うつヌケ

書籍イメージ
田中圭一 著 角川書店 出版社
2017年1月19日 初版
ISBN–978–4–04–103708–9

サラリーマンで漫画家の著者が患ったうつ病の治る過程のレポートと、著者の周りの人でうつ病にかかってしまった人、著名人へのインタビューをマンガ形式で綴った新しいうつ病の直し方「うつヌケ」を披露する。

最初のエピソードは著者自身がどの様にうつ病にかかっていったかとそのうつがヌケるまでの過程を披露していく。
著者は何とうつを10年も患っていながら仕事をし続けていたと言う。
仕事での劣等感を引き金にうつへと向かっていく筆者のこころの動きが描かれ、本書では脳が寒天に覆われてしまったようと表現されている感覚に囚われてしまったとの事。

薬を飲みながら仕事を続けていくが、だんだん薬が効かなくなり、量が増えていくという事態になってしまった。

しばらくしてある一冊の本をきっかけにうつとはどういったものかというものの片鱗を理解し、自分自身の考え方や行動を見直し改善していったためうつが段々とヌケていった。
しかし、その代償に会社をリストラされてしまう。
だが、その時著者は「これから自分にあった仕事を探せる」と思えて逆に楽になったのだった。

そして、新しい会社に移り新しい仕事をはじめた著者はうつはヌケたと思っていたが、ある時にまたうつの症状が現れた。
何の前触れもなくうに囚われたが、また何日かするとうつがヌケた。
こういったことの繰り返しが続いていた。
その「突然のリターン」の原因を著者は調査した。
そして、またある一冊の本と出会った。
そこに、まぎれもない解答があった。
うつをぶり返させるものそれは、激しい気温の変化だった。
3月、5月、11月に気分が落ち込む事が多い、気温差の激しい季節だ。
そのカラクリを理解した著者はその気温差の激しい季節はうつがぶり返す事を理解した準備できるようになった。

こうして気分をうまくコントロールしていけるので精神的不安も減り何事もなく過ごす事ができるようになった。

こうしたうつがヌケるエピソードを著者の周りの者、著名人にインタビューし、如何にうつを克服していくかを教えてくれる内容となっている。

本書ではやはりうつになってしまった場合自分自身の考え方の改善が最もうつには効くと思われる。

こうであるべきとか、失敗した時に自分を責めてしまうとか、未熟な自分自身を受け入れないとか等、思い詰めるとだんだん心を追い詰めてしまう。

そもそも日本人は完璧主義が多く、べき論が大好きだ。
しかし、それがうつへの引き金だ、日本人はもっとおおらかに生きてもいいと思う。
日本人の多くの人がおおらかに生きる事を否定的に考えるが、その為に窮屈な国になっている。

その窮屈な考えに拍車をかけているのが現在、わが国で起きているデフレの問題に通じる。
デフレの所為で働く事が辛く窮屈になっている。
早くデフレを脱却して若者たりが様々な仕事で大きな成功をできる国になって欲しい。


スポンサードリンク




年収崩壊 格差時代を生き残るための「お金サバイバル術」

書籍イメージ
森永卓郎 著  出版社 角川新書
2007年10月30日 初版
ISBN978–4–8275–5010–8

バブル崩壊以降、一億総中流と言われた日本にも格差時代が到来し、年収300万以下の収入の人々が増えてきた、そんな時代に発行された本書である。
今でもテレビで見掛ける経済アナリスト森永卓郎氏が著者である。

 バブルが破裂はしたがまだ景気はまだどん底までは落ちていない時代、小泉純一郎が総理大臣として政治を主導していた。

 この頃、まだデフレではなかった。

 ばぶる崩壊から失業率は5%代から回復し4%代になった。
 この記事を書いている2017年5月現在は失業率2.8%となっていることから、景気はどんどん後退しつつある事は察しが付く。

 そんな中、この景気後退期をどの様に考えて暮らしていけば良いかという考えが掲載されてはいるが、今となっては時代が立ちすぎた為、参考になる事はあるだろうか。
 読む価値はないかもしれない。

 あの時代は年収がどんどん下がっていき格差がどんどん開いていった。
 格差社会となり変わっていくライフスタイル。
 ネットカフェ難民やニートの問題がクローズアップされ報道される。
 こうなってしまった時代の資産運用の方法。
 老後の暮らし方。

 等々が書かれている。

 ホワイトカラーエグゼプションやサマータイムの導入など、今ではまったく報じられない問題も提示されている。

 そのまま、現代に応用できるかは疑問だテクノロジーもあの頃より格段に進歩している、ひとつの通り過ぎた時代から現代まで積みかさねたマクロ経済の歴史の一端として読む価値はあるかもしれない。


スポンサードリンク




さよなら!僕らのソニー

書籍イメージ
立石泰則 著  出版社 文春新書
2011年11月20日 初版
ISBN978–4–16–660832–4

 僕らの年代はかつてソニー製品は憧れのオーディオビジュアル機器だった。
 フルコンポのオーディオ機器などもあったが僕がまだ社会人、成りたての当時はミニコンポが主流になりつつありユニークな機能のついたミニコンポをオーディオメーカーは各社、販売していた。
 一番欲しかったのはソニーのカセットデッキが2台ひとつの筐体に取り付けられているいわゆるダブルデッキだった。
 2台のカセットデッキが連動する事により倍速ダビングが可能で自分のお気に入りのテープを作るのが当時、流行した。

 本書にも書かれているウォークマンもすごく欲しかった。
 ウォークマンが発売されたときはまだ学生だったため学校を卒業して働いて初めてウォークマンを自分で買って手に入れた。
 ビデオデッキもベータSONYを買った。
 あとでVHSに負けるとは思わなかった。

 そんな風にソニーの製品は僕らの憧れとして常にあった。

 プレイステーションが出た時はソニーの凄さを感じた、鉄拳がやりたくて買った。
 その後であれ程ゲーム機で天下を取っていた任天堂がプレイステーション負けるとは信じられなかった。

 その後、ビデオデッキが段々とデジタルに移行して行った時にソニーのクリップオンというハードディスクレコーダーの存在を知った。
 一部のマニアの間ではこのクリップオンでテレビを視聴するのがすごく便利で快適、ライフスタイルが変わるとの口コミが広がっていた。
 そして、かなりの値段をしたががクリップオンを購入した。
 それは、テレビ視聴のライフスタイルを完全に変える機器に間違いなかった。
 それまで録画はビデオデッキで録画日と録画時間のからまでを録画したい番組ひとつひとつに設定しなければいけなかった。
 更に1日最大6時間分までしか1台のデッキでの留守録ができなかった(1本のビデオテープの最大録画時間の為)。
 なので、大量に録画する人はビデオデッキを何台も保有していた。
 それが、クリップオンではハードディスクに入る限界まで録画予約ができ、EPG(電子番組表)で番組のタイトルを選択する だけで録画予約が出来るという便利さ(今は当たり前だが)だった。
 視聴するときも、その見たいタイトルを選択するだけで視聴できるのだ。
 ビデオテープだったらどのテープに何が入ってるかすぐわからなくなった、録画タイトルをテープに記入するのも面倒な作業だった。
 一回しか視聴しないのに。
 その後、あまりの便利さに僕は後継機2機種(コクーン)も買う程この録画機が好きだった。

 だが、ハードディスクレコーダーのみのレコーダーは世間的には受け入れられず、後継2機種を出してDVD付きのレコーダーになった。

 そう言ったソニーらしい製品が当たる時もあれば外れる時もある。

 現在のソニーはな新しいライフスタイルを提案したり、圧倒的な技術で他社の追随を許さないハイクオリティな製品を出す会社ではなくなってしまった。

 この本はそうしたソニーの大躍進の時代から衰退していくの過程が様々なエピソードと共に書かれている。

 第1章  僕らのソニー
 著者の過去の体験の追想録で、初めてのソニー製品を購入するエピソードが語られる。
 オープンテープレコーダーを初めて買ったのがSONY製品で、その後ソニーのラジカセをいかに購入したかが語られる。

 そして、アメリカでいかに苦労してソニーがメジャーな企業になっていったのかといったことが語られていく。

 第2章  ソニー神話の崩壊
 この後、「トリニトロン」や「ウォークマン」の製品からソニーが絶対的な地位を築くことが語られる。
 だが、そうした中ソニーらしい製品の発売がほとんどなくなっていき、他社との低価格競争になっていった。
 しかし、ソニーはそれを巻き返しハイビジョンカメラや平面ブラウン管の開発、発売で復活をした。
 そして、薄型テレビの開発の遅れのために薄型テレビの販売競争には苦戦するのだった。

 第3章  「ソニーらしい」商品
 ここではいかにソニーらしい商品が開発されるのかが語られる。
 トリニトロン・カラーテレビ、ウォークマン、CDプレイヤー8ミリビデオなどのヒット商品が開発される中、1995年に経営者が変わり新たな展開が始まろうとしていた。

 第4章  「技術のソニー」とテレビの周落
 薄型テレビの開発が後手になってしまった為赤字となってしまい、エレキ事業を復活するに至る経過が語られる。
 そして外国人CEOが選任される事になり次々と研究所や工場が閉鎖や売却されていく。

 第5章  ホワッツ・ソニー
 ここではいかに経営陣が変わっていったかが語られ、技術のソニーからソフトコンテンツのソニーへと舵を切っていく様子が語られる。

 第6章  黒船来襲
 そして経営陣がの遍歴の続きが語られ、ついに外国人CEOストリンガーになった事情が描かれていく。

 第7章  ストリンガー独裁
 ストリンガーは研究や開発施設、工場等を大胆に閉鎖や売却を行いリストラを敢行する。
 バッテリー発火問題、個人情報流出騒動など劣化していくソニー。
 苦境に立たされたソニーの状況が語られていく。

 最終章  さよなら!僕らのソニー
 2011年初代社長・大賀典雄の葬儀の模様と既に日本の企業ではなくなったソニーと著者は語る。

 ソニーの復活はあるのか。

 PS5の噂が立つ今、新しい展開はあるのか。

 現在のCEOは日本人である。


スポンサードリンク




財務省のマインドコントロール

書籍イメージ
江田憲司 著 出版社 幻冬社
2012年3月30日 初版
IBSN978–4–344–02158–7

 著者は現在、民進党議員であるがみんなの党、維新の党などを経て現在に至る。
 本書はいかに財務省が永田町、霞ヶ関、更にマスコミまで自分たちの思いのままに従え、省益を貪っているかが書かれている。

 この本が書かれた当時は民主党政権で野田総理が消費税10%への引き上げの法案を決定しようとしていた頃である。
 民主党はマニフェストに消費税の引き上げは行わないと謳っていたが、その約束は守られることもなく当時の総理大臣野田佳彦は「税と福祉の一体改革」と称して消費税の引き上げを打ち上げた。
 完全に財務省の傀儡となった民主党・野田佳彦は正義の顔をした偽善者となり国民に痛みを擦り付けた。
 これにより、民主党政権が終焉を迎えた後、自民・安倍政権に消費税引き上げの実施が託された。
 民主党時代の反省から安倍総理は経済政策をリフレ路線に舵を切り「アベノミクス」が行われることとなった。
 アベノミクスの序盤は第1の矢、第2の矢を大胆に行い日本は景気回復の基調になっていく筈だった。
  しかし、2014年4月1日に財務省の強引な誘導で消費税5%から8%に引き上げられた。
 その為、景気回復基調だったアベノミクスが大幅に失速した。
 そして、その影響は今だにまだ残っている。

 この様に財務省はいつも虎視眈々と増税を行なおうとする。
 
 序章 財務省のマインドコントロールから目を覚ませ
 ・民主党のバラマキのツケで+5%の消費税
 ・財務省の増税の目論見のために遅れた3.11復興予算
 ・全てが増税ありきの結論

 第1章 「増税しないと破綻」キャンペーンの噓をあばく!
 ・財務省による10の「マインドコントロール」を解く
  国債は子供や孫への借金ではない
  国家の財政を家計に例えるのは大間違い
  「国の借金」はGDPの2倍?それがどうした!
  ギリシャの教訓は”増税しても破綻”
  デフレ下で増税しても、税収は上がらない
  国外では「日本の財政は確固としている」と主張する財務省の二枚舌
  なぜ世界で類を見ない「伏魔殿」を廃止しないのか?
  米国債の償還金15兆円をなぜ使わない
  消費税を社会保障の財源にする国なんてない

 ・増税しなくても、10年間で80兆円を賄える!
  知れば知るほど寒々しくなる野田総理の正体
  国会の実態も悲しいほどひどい
  本気で実行するつもりのない野田総理の口先答弁
  凍結した宿舎を復活させ財務省に媚を売る総理
  なぜ「埋蔵金」を有効活用しないのか
  国民を絞るのではなく、知恵を絞れ!

 第2章 財務省支配のかカラクリ
  金融行政が大蔵省から分離されるなら、テロも辞さない!
  なぜ政治家は財務省に頭が上がらないのか
  財務省は官邸にこんなにも食い込んでいる
  財務省は政府内を植民地化している
  財務省はIMFさえ操る
  財務省は裏で「大蔵省」を復活させようとしている
  財務省を復活させた小泉政権
  日銀総裁は財務省にとって「夢の天下り先」
  民主党政権はのっけから財務省主権だった
  なぜ民主党政権は「政治主導」ができなかったのか

 第3章 この国のかたちを変える!
  経済成長なくして財政再建なし
  デフレから脱却する方法は
  日銀はもっと市場にお金を回すべき
  4%の名目成長はこうすれば実現できる
  日本の農業はこうすれば再生する!
  農業は保護するから衰退する
  東電は法的に破綻すべき
  「発送電分離」は一石三鳥の特効薬

 最初、「政治主導」を訴えていた民主党も最後は財務省の軍門に下り消費税増税の法案を提案させられ、リフレ政策の安倍総理も消費税増税の実施を余儀なくされ、10%の増税も凍結ではなくいまだに延期のままだ。

 現在も小泉進次郎氏の提案するこども保険は保険ではなくまさに増税だ、財務省はこの様に関係者にマインドコントロールを行ない自分たちの利益拡大を常に目論んでいる。

 そして、マスコミも国の借金はいくらいくら、国民一人当たりいくらの借金と財務省の言いなりの報道を繰り返す。

 もう、財務省と東電は解体したほうがいい。

 本書を読めばそれが分かる。


スポンサードリンク




アル中病棟 失踪日記2

書籍イメージ
吾妻ひでお 著 イースト・プレス 出版社
2013年10月10日 初版
ISBN978–4–7816–1072–6

大ヒットした「失踪日記」に続きその後の出来事を綴ったのがこの「アル中病棟 失踪日記2」である。

前著は仕事に行き詰まって、酒を飲み続けアル中になり失踪した。
その失踪中の出来事を中心に描かれていた。
本著は家に戻り、アルコール依存症を治療するために病院に入院中の出来事を吾妻ひでおテイストで暗過ぎないユーモアさで描かれたドキュメントである。

酒を呑み過ぎ、アルコール依存症となった著者は遂に幻覚を見たり自殺を図ったりという末期的な状態となってしまった。
その為、家族に取り押さえられながらアルコール依存症専門の病院へ強制入院させられる事になる。
そして、3ヶ月間の禁酒プログラムに入る事になる。

アルコール依存症の治療により禁酒を行うと最初に辛いのが眠れなくなる事だ。
今まではアルコールにより酩酊状態から睡眠を行なっていた為、アルコールが断たれた事により睡眠しづらくなるのだ。
その為、睡眠薬を追加で飲んだりするが、それでも眠れなくなる。

プログラムに入るとシアナマイドを処方される。
それを飲むとアルコールの受け付けない状態になって、呑むと酩酊したり嘔吐したりする様になる。
そして、期間中呑んだ者はガッチャン部屋(反省室)に入れられるらしい。

アルコール依存の者は3週間も禁止をすれば体調的には回復するがそ後の離脱症状による幻覚が出たり精神的に問題が起こりまた飲酒するということになり易いらしい。

プログラム中、自助グループに通わされる。
自助グループとは、アルコール依存性の者たちがお互いの体験談を発表し、2度と飲酒をしないと誓い合う集まりの事。
ひとりひとり順番に体験談を発表し、感想を話し合う。

入院が40日になろうとする頃、自宅への外出許可を願い出て、了承される。
久しぶりに我が家に帰る著者。
家での食事はやはり美味いらしい。
病院での出来事を家族に話す。
次の日、病院に帰る。

そして、入院も終わりになり家へと帰宅する事となる。

アルコール依存性の著者がなるべく明るく描いたと本の最後の対談記事に載っていた。
現実はもっと大変で、経済的な問題もあった様だ、酒はほどほどが良いのかも。


スポンサードリンク




藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道

書籍イメージ
えびはら武司 著 竹書房 出版社
2015年7月7日 初版
ISBN978–4–8019–0356–2

藤子不二雄のアシスタントをやっていた、「まいっちんぐマチコ先生」の作品で有名な著者が当時のアシスタント時代を振り返り、藤子不二雄のマンガ制作の裏話を披露する本書。

藤子不二雄ファンには懐かしいタイトルの誕生や制作秘話が明かされるドキュメントマンガである。

そもそも著者は藤子不二雄の大ファンで子供の頃から藤子不二雄の弟子になると決めいていて、藤子不二雄スタジオにマンガの持ち込みをしたのがきっかけでアシスタントとなる。
藤子不二雄F氏にマンガを見てもらい、強引な頼み込みで、弟子として働くことになった。

そして、藤子不二雄スタジオで働いた出来事を綴っていく。

藤子不二雄2人の漫画家のペンネームで、藤本氏と我孫子氏の二人の名前を合わせた名前だ。
藤子不二雄あ氏の著作「マンガ道」でもわかるが当初は2人で合作して作品を制作していた。
しかし、途中からそれぞれのマンガを描く様になり、著者がアシスタントをしていた当時は既に仕事場は別の机を並べて制作を行なっていた。

藤本氏は寡黙で内向的なタイプで、我孫子氏は外向的なタイプだった。
藤本氏は仕事一筋で、我孫子氏はゴルフやマージャンなど遊びもしながら仕事もうまくこなしていた。

性格は全く違う二人だった様だ。

この本で特に面白く感じたのは、コピー機が開発されてからマンガではコピー機を使った、作業の省力化や、表現を使っていったという事だ。
赤塚不二夫氏の「おそ松くん」の六子も一人の顔を描いて、五つコピーして貼っていたと言うし、我孫子氏の「プロゴルファー猿」でもゴルフボールをコピーしたとき表現が良かったのでそれを貼って使っていたと言う。
そういえばつのだじろう氏のマンガも写真をコピーした表現を使っていたのを思い出す。

ドラえもんが最初は評価されていなかった事や、「オバケのQ太郎」が多くの漫画家の手で制作されていた事、著者のヒット作「まいっちんぐマチコ先生」がいかに作られていくかが述べられている。

読みやすい絵柄とコマ運びで一気に読んでしまった。

藤子不二雄に興味がある人、マンガの制作ってどうやっているのかなど興味のある人は読めば楽しい時間になります。


スポンサードリンク




田舎暮らしはじめました〜うちの家賃は5千円〜

グレゴリ青山 著 メディアファクトリー 出版社
2009年11月20日 初版
ISBN978–4–8401–3116–2

都会暮らしの著者が田舎に引っ越し、その日常をユーモアと笑いで、田舎暮らしとはどういうものかという事が理解させてくれる本だ。

家賃9万円の狭いアパートの都会暮らしに嫌気がさしてきた著者と夫のヨコチンが、友人の一人が田舎暮らしを始めたので見にいったときに、田舎暮らしの良さに目覚め田舎の良い物件を探すことになる。

色々な県の役所に空き家を打診する手紙を送るが、良い返事は1年間なかった。
しかし、1年後に和歌山の一軒家が空き家となったので借りないかとの連絡を受ける。
直ちに和歌山の物件を見学に行って見た。
藁葺き屋根の平屋の一軒家だが都会のアパートより断然広い上に庭も広い。
その上家賃は月5千円で良いと言う。
そのリーズナブルさに感動し早速その家を借りたいと申し出る。

早速、引越しを始める2人、軽自動車で借りた家へと引っ越していく。
持って行った荷物を降ろすと夜になってしまったので、近くの温泉に入り休憩所で夕御飯んにしようかと思っていたが、温泉から出た後、食事の時間が過ぎてしまったので食事は出せないと言われた。都会ではかなり早い時間なのだが田舎だと閉まるのが早い。
近くにスーパーもコンビニもなく、小さなラーメン屋を1件見つけラーメンにやっとありつけた。

そして、田舎暮らしに慣れていくうちに2人は土いじりにはまっていった。
夫のヨコチンは畑を耕し、野菜を作り始めた。
もともとそういった事がしたかったらしい。
しかし、慣れない畑仕事をしたために身体中が筋肉痛になってしまう。
そして、田舎には様々な虫が棲息している。
その虫たちとの戦いも待っていた。
大きい蜘蛛やムカデ、見たこともないトンデモな虫とも戦うことになる。

子猫が家の前に捨てられていた。
前から猫を飼って見たかった著者は、今まで住居の問題で飼うことが出来なかったので、その猫を飼うことにした。
直ぐに家に慣れて2人に懐いていった。
暫くすると子猫は雌だったので妊娠し子猫を5匹も産んだ。
真っ黒な猫だけ欲しい人がいたのであげたが、あと4匹は飼うことになった。

そして、4年間この家で暮らしていくが、あまりにも都会から遠く漫画の仕事の依頼が減っていってこのままでは暮らして行けないので、もう少し都会の家にひっこすことになってしまう。

実際、田舎で暮らして見なければわからないことが面白く描かれている。
田舎暮らしに憧れている人は一読がオススメだ。


スポンサードリンク




心が凹んだときにに読む本

心屋仁之助(心理カウンセラー) 著 王様文庫 出版社
2011年12月20日 初版
ISBN978–4–8379–6621–0

心が凹みやすい人が日常の中のちょっとした事で凹んでしまったときや凹まないようにする為の日々の心構えを指導してくれるのが本書です。
これを読めば、心が強くなり苦しい状態から脱出する方法が分かります。

へこみやすい人は、心が弱いのではなく、何か欠陥があるわけでは無い。
ただ、他人の気持ち地に敏感だった、周りに気を使い過ぎたり、マジメ過ぎて頑張ってしまったり、責任感を持ち過ぎているからだと本書は言う。

・自分に優しく
人は褒め言葉を言われるとテンションが上がって自分に自信が持てる。
普段、人は自分自身にネガティヴな言葉を掛けがちだ、それでは自分が疲弊してしまう。
もっと、自分に優しい言葉を掛けていたわってあげた方が良い。

・ひとりで頑張らない
自分ひとりで努力して成し遂げることは大事だが、自分ひとりではどうにもならないこともある。
そんな時は、他人の力も借りた方が良。
手伝って欲しいと言える勇気が大事だ。

・他人に自分を分かってもらえないとき
自分の辛い状況や気持ちを相手にもわかって欲しいと誰もが思うが、他人はその経験がないとその辛さが全く理解できない。
それは、とって返せば自分自身も経験をしていないことを相手に言われてもその気持ちが理解出来ないということが当然ある。
それは、お互い様なので、わかってもらえない事は仕方がないと思って流せる事が大切だ。

・自分に正直に
人は多かれ少なかれ親や教師、会社の上司などからこうあるべきを押し付けられそう出来ないことの方が多い。
そんな時、自分を責めてしまうが、本当はそれが本当に正しいのかは人それぞれである。
だから、そういったことに縛られることなく自分らしく行動すべきである。

・幸せに生きていく為には
日頃、ボーッと考えているときに過去の失敗や辛かったこと、将来の不安を思い浮かべて苦しくなったりする事がある。
そうしたときは、楽しかった事、これから起こる楽しい事を思い浮かべるようにする。
そうすると心がポジティブになり、幸せが訪れやすくなる。

・将来のヴィジョン
自分がなりたい自分を具体的に思い浮かべてこうどうする。
そうすると自分がなりたかった自分になれてしまう。
人とはそういうものだ。

本書は心が凹みやすい人がいかに上手く人間関係の悩みを解決して行けば良いかというヒントが沢山述べられています。

今、傷心のひとは、この本を手に取るといつの間にか前向きな気持ちを取り戻せるかもしれません。


スポンサードリンク




その後のツレがうつになりまして。

細川貂々 著 幻冬舎 出版社
2007年11月25日 初版
ISBN–978–4–344–01418–3

ツレがうつになりまして。の続きが語られる本書。
ツレと著者の運命は…。

ツレがうつになった体験をそのまま本にしてみようと著者は考えた。
なぜなら、世間ではうつについてかなりの誤解や間違った情報が流れていると思ったからだ。
いくつかの出版社に相談したところ幻冬舎から出版できることとなりツレがつけていた日記をベースにして執筆作業に取り掛かる。
執筆中ツレがつけていた日記にいくつかの衝撃的事実を見つけたことと内容が思っていたより重いことが分かり執筆は難航した。
そして、執筆は完了し様々な過程を経て本が完成した。
本の初版の印刷が完了しいざ発売となった時、急にツレが本を発売するのをやめてくれと、涙ながらに訴えてきたが、この段階で出版取りやめなのは無理なので、本は無事出版された。
本が発売されて間も無くの頃、本屋を回ってみたがこの本が置いてある本屋を見かけることができず、本はあまり売れてないと著者は思っていた。
ある日パソコンでメールのチェックをした時に、物凄い数の本への感想メールが届いていた。
そして、だんだん周りもうつに対する考え方が少しづつ変わっていくのが実感できた。
本は考えていたより売れ、増刷となった。
映画化もされた。

うつになって出来なくなったことが語られる。
うつになると今までで簡単に出来ていたことが出来なくなる。

・ひとりで出かけられなくなる。
・旅行に行けなくなる、特に電車に乗れなくなる。
・人混みに入れなくなる
・サラリーマンになる。
・電話に出られなくなる

そしてツレは病気が回復し色々な事がだんだん出来るようになる。

・電話に出れるようになる
・薬の量が減る
・講演会で人前で話せる
・会社を作った

現在、ツレは専業主夫で会社の社長となった。

この病気でこんな風にうまくいく人ばかりでは無いかもしれないが、うつ病の人にとってひとつの指針になれば良いなと思う。


スポンサードリンク